2014年2月8日土曜日

Lesson 168 について

☆翻訳者からのメッセージ☆

今日のレッスンは大きくたたけば大きく響き、小さくたたけば小さく響く、そしてたたかなければうんともすんともいわない鐘のようなものかもしれません。

ただ、自我から今日のレッスンメールを読めば、自我は文章を目にしながらも無視しようとしたり、自分からはとても遠いリアリティーのないきれいごとの話のように見えたり、もしくはちょっとした反感や皮肉屋的な感情を自我が反応させようとする場合もあるかもしれません。

神の愛とか言われても、自我は自分の目先の仕事や家庭や人間関係や人生の状況や経済的問題、あるいは自分自身の内的問題でそれどころではない、こんな状況なこんな自分で神の愛などどう感じろと、なんて思わせるのも自我は得意です。

レッスン160番台は、さらに「自我が自分にあたかもリアリティーがあると思わせる感情や感覚を脇を一旦おいて」その自我に騙されないで、レッスンが伝えるトレーニングをただ淡々とやってみようとするという事が必要かもしれません。

レッスン220まではひたすら「自我の解体」というプロセス、トレーニングです。

奇跡のコースのレッスンを半年以上やってきた、だから何か特殊な体験ややってきた成果みたいなものが欲しい、あるいは半年もやってるのにそれらがまだない、そして今日のレッスンの神の愛など言われても全くもってようわからん、など自我は様々な形で抵抗します。

あるいは、「自我を大事にもっておいて」、神の愛とは?と「自我が考えよう」とします。

今日のレッスンのトレーニングも、それを自分に与えるのが5分なのか10分なのか15分なのか、それは私たち次第というものです。

ただ淡々、その時間だけは、わずか数分だけでも、とりあえず「自我が思わせることや感情を脇において」レッスンのトレーニングをやってみるということが大切かもしれません。