2014年3月9日日曜日

Lesson 191 について

☆翻訳者からのメッセージ☆

自分とは何なのか、そのアイデンティティーを私たちはずっと考えてきました。

自分とは何なのか、それを私たちはずっと探してきました。

親との関係の中で、生まれた環境の中で、学校や友達や人間関係の中で、社会や仕事の中で、家庭の中で、ずっと問いかけてきました。

自分とは何だろうと。

歩きつかれ、探しつかれ、やがて、目の前に見える現実と思えることの中で、いつしか自分を、自我の狭い枠組みの中で決め付けるようになって来ました。

そして気がつけばそこから出られなくなり、妥協や諦めが支配して、自分とは何なのかを問いかけることさえ、この世界の日常の煩わしい数々のことの中に埋もれていきそうになっていました。

そこでは、自分の存在が「尊い」ということさえ忘れられ、人生はただ他人の目を怖れ、未来に漠然と怯え、深い喜びよりも小さな苛々が支配するものになり、日々の雑事や仕事や目標を達成することが人生そのものになり下がり、どこに向かっているかさえわからないものになりました。

今日のレッスンは、レッスンのキーワードとなる言葉は、あっけないほどとてもシンプルなものです。

しかし、たとえばですが、15分なり何分か一定の時間を自分にゆるして、静かな時間の中で言葉を繰り返す時、言葉は単なる綺麗事ではなくなり、言葉以上の何かを聖霊が伝えてくれるかもしれません。

レッスンは、文章を読んで自我や頭で理解するものでなく、実際のエクササイズの時間を通して、聖霊に伝えてもらう(わからせてもらう)ものだと思います。

どうか真のアイデンティティーを求めてください。

そして真のアイデンティティーとは何かを聖霊に聞いてください。

言葉はレッスンの文章に伝え尽くされています。

もちろん、繰り返し読み返すことは大切です。

なので、聖霊が伝えてくれることは、多くの場合は言葉を越えたもので伝えられます。

もちろん、エクササイズの時間だけでなく、今日1日を通して、その1日の中で聖霊が何度も伝えてくれる場合もあるでしょう。

とてもとても深いレッスンです。